湖畔で読書をする女性

禁煙社会となった現代ではタバコを吸う者の人権はどんどん奪われ、煙を吸って吐くだけでもこうして会社の外にあるクソ寒いこの喫煙所に来なければならなくなってしまった。春が近づいてきたとはいえ、風はまだ肌寒い。ここのように湖のそばなら尚更だ。しかしここから見えるあのベランダにいる女性は顔色一つ変えず、本を読んでいる。寒くないのだろうか。いや、寒いはずである。彼女はマフラーを巻いてはいるが、服装は春のそれだ。寒くないはずがない。桜が咲く頃とはいえ首を温めるだけで耐えられるほど湖畔の寒風は甘くないのだ。宍道湖と共に暮らす松江市民の俺が言うのだから間違いはない。彼女も松江にいるならばそこは承知のはずである。ということは、それだけ外で読書がしたい理由があると考えられる。
考えられるのは彼女の趣味が「外で読書をすること」だった場合だ。秋、冬と数ヶ月に及ぶ長い寒気が続く間、彼女の趣味は無慈悲にも奪われてしまう。そこにようやく発表された桜の開花宣言。春である。桜が咲けば紛れもない春である。彼女もやっと趣味が楽しめると浮き足立ったろう。このくらいの風、私がこれまで我慢してきた時間に比べればどうってことないわ。私は外で読書がしたいの。太陽の光を浴びて読書がしたいの。湖の波の音を聴きながら読書がしたいの。寒さ的にはフライング気味だがそれだけ我慢出来なかったということだろう。桜が咲けば春だ。そんな解釈を用いてようやく彼女は愛しい趣味の時間を手にしたのだ。
煙を吐きながらそんなことを考えている間にも肌寒い風は吹く。すると、彼女がチラリとこちらを見た。目が合った。彼女は少し驚いた顔ですぐに目を背けた。そういえば彼女が本のページをめくる姿を見ていないことに気がついた。彼女の顔が赤くなっている。寒さのせいか、それとも。

いやいや。