銀河鉄道の夜に

中村文則『何もかも憂鬱な夜に』の解説をピースの又吉直樹が書いている。

「生きているとフラストレーションの固まりのようなものに全身を覆われて身動きが取れなくなる時がある。そんな時に叫びたい衝動に駆られたことはないか。(中略)大声で叫び自分の周囲にある鬱陶しい膜のようなものを破り裂きたいと思ったことはないか。」

僕は「ある」と思った。よく「ある」。
「ある」が、実際に叫んだことはもちろん無い。突然叫んだら変な奴だと思われるからだ。

叫んで膜を破り裂きたい、けど叫べないという時に僕が求めるのが音楽だ。

僕はよく会社から帰宅する車の中で音楽をかける。
普通に好きなアーティストの曲をかけることも多いが、会社で色々あって、叫びたい衝動に駆られた時にはよく銀杏BOYZをかける。
しかも割と大音量で。ささやかな社会への反抗だ。

銀杏BOYZ峯田和伸のボーカルは、叫んでいる。ただ大声で「ギャーッ」というわけではなく、時に誰かに好きと言うように、時に泣くように、時に助けてと言うように、時に鬱陶しい膜のようなものを破り裂くように叫び、歌う。

たぶん僕は銀杏BOYZに、代わりに叫んでもらっているのだと思う。銀杏BOYZに膜を破り裂いて欲しいのだと思う。
銀杏BOYZが支持されるのは、曲の良さももちろんあるけれど、そうやって代わりに叫んでもらうことで救われる人が多いから、という気がする。

今日も銀杏BOYZの『新訳 銀河鉄道の夜』を大音量で聴きながら帰った。
銀河鉄道の夜に 僕はもう空の向こうに飛び去ってしまいたい」というサビの歌詞に「わかるわ…。」とか思いながら。
その泣くように叫ぶボーカルに思わず涙しながら。

少し救われた。
今回の膜は破れたのだと思う。